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No.222026.01.20

高嶺の花から、夏の友へ。江戸の街に響いた「金魚売り」の声。

室町時代に渡来した金魚は、長い間、大名や豪商といった限られた人たちだけが愛でる「生きた宝石」でした。その贅沢な文化が、大きく姿を変え、街中のあちこちで見られるようになったのが江戸時代です。

Juane * です。こんにちは。

今日は、金魚が「特別な宝物」から「暮らしの彩り」へと変わっていった、江戸時代の熱狂についてお話しします。

1748年、世界初の専門書の誕生

江戸時代中期、寛延元年(1748年)。日本、あるいは世界で初めてと言われる金魚の飼育専門書『金魚養玩草』が出版されました。 そこには、金魚の品種や飼い方、病気の治し方までが丁寧に記されています。

専門書が出るということは、それだけ多くの人が金魚に興味を持ち、実際に育て始めていた証拠。一部の特権階級のものであった金魚が、知識と共に、広く庶民の間へと広まっていったのです。

街を彩る「金魚売り」の調べ

江戸の夏の風物詩といえば、天秤棒を担いで街を歩く「金魚売り」の姿です。 「えー、きんぎょー、えー、きんぎょー」 その独特の呼び声が聞こえてくると、大人も子供も路地へ飛び出していったと言います。当時はまだガラスの水槽などはなく、庶民は「たらい」や「お椀」に金魚を入れて、上から眺めて楽しんでいました。

ゆらゆらと揺れる赤い影を上から愛でる。その鑑賞スタイルが、日本独自の「上から見て美しい金魚(らんちゅうなど)」という美学を育てていくことにも繋がりました。

浮世絵の中の、小さな命

この時代の金魚への熱狂は、アートの世界にも色濃く残っています。 歌川国芳や喜多川歌麿といった名だたる浮世絵師たちが、金魚を擬人化して描いたり、美人が金魚を眺める姿を美しく写し取ったり。

それは単なる流行を超えて、金魚という存在が「日本の美意識」そのものに溶け込んでいった瞬間だったのかもしれません。金魚は、江戸の人々にとって、季節を運び、心を癒やす、かけがえのないパートナーになっていったのです。

素敵ですね。

今も続く、江戸の残り香

私たちが今、夏祭りで金魚を眺めたり、軒先の水鉢でその姿を愛でたりする習慣。 そのルーツの多くは、この江戸時代の活気の中にあります。

Jun * Juaneとしても、江戸の絵師たちがそうしたように、金魚という命が持つ「時代を超えた輝き」を、現代の感性で切り取っていきたい。 一匹の金魚を見つめるその眼差しは、何百年も前の江戸の人たちと、今もどこかで繋がっている。そう思うと、水の中の赤がより一層、愛おしく感じられます。

【参考資料】

『金魚養玩草』(1748年):安達喜之が著した、日本初の金魚飼育の解説書。当時の飼育ブームを背景に出版され、現代の金魚文化の基礎を築きました。

金魚売りの歴史:江戸時代初期には金魚は非常に高価でしたが、中期以降に養殖技術が向上し、庶民でも手が届く価格になったことで、移動販売の「金魚売り」が定着しました。

上見(うわみ)の文化:江戸時代の鑑賞スタイルは、陶器や木製の器で上から眺めるのが主流でした。このため、日本の金魚の品種改良は、背中側の色彩や肉瘤、尾びれの広がりを重視する方向へ進化しました。