← Juane's Note一覧に戻る
No.262026.01.20

ビードロ越しに揺れる赤。江戸から明治へ、透き通る「窓」の物語。

金魚を横から眺める楽しみ。それは、文明開化の明治時代に始まったと思われがちですが、実はその萌芽は江戸時代にまで遡ります。Junae * です。こんにちは。

今日は、日本の金魚文化を支えてきた「ガラス」という透明な存在、そして江戸から明治にかけて変化していった私たちの「視線」の歴史を紐解いてみましょう。

江戸の贅、ビードロの金魚鉢

江戸時代中期から後期にかけて、長崎を通じて伝わったガラス細工の技術は、江戸の街に「ビードロ」という新しい美しさをもたらしました。当時の浮世絵を見ると、丸いガラス鉢(金魚玉)に金魚を入れ、涼みながら眺める人や金魚を持ち帰る様子が描かれています。

これらは、職人が息を吹き込んで作る手吹きのガラス。今のような平らなガラスとは違い、表面には柔らかな「ゆらぎ」があり、中の金魚は少し歪んで見えたことでしょう。それでも、横から金魚の姿を透かして見るという体験は、当時の人々にとって、ため息が出るほど贅沢でモダンな遊びだったのではないでしょうか。

明治時代、視界を広げた「板ガラス」

明治時代に入ると、文明開化とともに西洋から「板ガラス」の技術が本格的に導入されます。ここで起きた大きな変化は、ガラスが「丸い鉢」から「四角い水槽」へと姿を変えたことです。

手吹きの鉢にあった特有の歪みが消え、金魚の姿をありのままに、より鮮明に横から観察できるようになりました。この「真っ直ぐな視線」の普及こそが、現代の私たちが水槽の前で金魚と目が合う喜びや、写真でその繊細な質感を切り取る文化の土台となっていったのです。

時代を超えて響き合う「好奇心」

江戸の人がビードロのゆらぎの中に見た幻想的な歪んだ赤と、明治の人が平らなガラスの向こうに見た写実的な命。道具の進化によって見え方は変わっても、透明な壁一枚を隔てて金魚の暮らしをそっと覗き見たいという、私たちの純粋な「好奇心」は変わっていません。

水槽という透明な窓は、単に金魚を閉じ込めるものではなく、私たちが異なる世界に住む命と出会い、その美しさに触れるための、大切な「架け橋」なのかもしれません。

レンズが引き継ぐ視線

私たちが今、カメラのレンズ越しに金魚を見つめていること。 それは、江戸の人がビードロを愛で、明治の人が初めて平らな水槽に驚いた、あの感動の地続きにあります。ガラスという透明な境界があるからこそ、私たちは金魚という命の尊さを、より深く、より静かに感じ取ることができる。 そんな「見つめる」という行為の歴史を想いながら、これからも一瞬一瞬の輝きを大切に記録していきたいと思っています。

【参考資料】

江戸時代のガラス鉢(ビードロ): 浮世絵師・歌川国貞(三代目豊国)や歌川広重の作品には、透明や藍色の縁取りがされたガラス製の金魚鉢が描かれた美人画が複数現存しており、高級な観賞用具として普及していたことが確認されています。

「上見」から「側見」への変遷: 江戸時代は依然として上から眺める「陶器・木製の鉢」が主流でしたが、ガラス鉢の登場は「横から愛でる」という新しい美学の先駆けとなりました。

板ガラスの普及: 明治時代に板ガラスの輸入と国内生産(旭硝子など)が本格化したことで、歪みのない視界を提供する「四角い水槽」が広まり、金魚の体型の立体的な美しさがより重視されるようになりました。